あ、オデンカさんのこの記事です。→ 嫌いな人間を好きになろうと努力するほど無駄なことはない。
わかるなー。
前にも似たようなこと書きましたけど、嫌いな人がいるのがいけないと思って、ずっと好きになる努力をしてきたんですよ。何で勝手言うとたぶん“逆の立場で自分が嫌われているとしたらとても悲しいから、なるべく人を好きになろう” って理由だと思うんだけど。
でもね、つらいのよ。だって、好きになろうと思って好きになったりしないし、嫌いになろうとして嫌いになることもそんなにないのに、それをやろうとしてるんだもの。
つらくてうまく行かなくて、すごくストレスになって、自分をどんどん嫌いになってくわけですよ。
最近はほうっておいてます。放置プレイですよ。
“あーあのひと嫌い?嫌いなの。そうなの、ふーん、ほっとけほっとけ”
って。
好きな場合も同じね。自分の気持ちは放置放置。前にも書いたけど、好きな人が多いのもそのぶんつらいからなんとかしたいんだけど、好きなもんは好きだし。
そうするといつの間にか嫌いな人がなんとなく好きになってたりすることもないし、ならないこともあるし。すごく好きだった人がどうでもよくなってることも、たまにはあるし。それはなりゆきにまかせてほっとけほっとけ。
これが楽になるには、
“あ、わたしもこと嫌いなの?わたしのこと嫌うのも好きになるのも貴方の自由だからお好きにどーぞ”
って気持ちでいることで、それがいちばん難しいんですけどね。
好かれたいですもん。自分が可愛いから。でもそんなのは、相手にとっちゃ知ったことじゃないもんね。
わたしの場合はそんなところです。
自分のことは、大嫌いなんだけどすごく好きかも。はーやだやだ。
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