そう思って飛び出して、そこに何もなかったとき、
“なんだ。なにも無かった。飛びださずとどまっていればよかった。”
と思う。
大きな人生を変える出来事から休日のちょっとしたお出かけまで、沢山そんなことがある。だんだんと
“どうせ行ったってなにも無いだろうから、行くのはやめよう”
と思うことが増えていく。
でもさ、“そこにはなにもない”わかることは、実はすごいことなんだよな、と最近思うのです。
天地真理の歌にもあったけれど(古くてごめんなさい)、虹の向こうにはなにかがあるんだと小さい頃思っていました。
ところが、虹の向こうにはなにもない。ずっと遠くから眺めていればよかったと後悔する。
でも、虹に向かって走ってなかったら、そこになにも無いという事は永遠に分からなかったわけです。
(途中ですが、眠気に勝てないので寝ます。おやすみなさい。)
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13年前、同じ経験?があります。
返信削除ひょいと飛び越えればよかったのに、
そのままでした。
結婚もおなじでしょうか?
それ以後も、同じようなことが
あっても、飛び越えておりません。
1 それほどではないので
2 あるがままに(レットイットビー)
3 プロテスタント、(ポールさんは実は、
カトリック系の家柄のようですが。。)
的になるがままに
4 年を重ねるごとにさらにいろいろ
なことが目白押し。
匿名さん>
削除結婚もそうですね。結婚してみると、ああ、べつに無理に乗り越える必要もないおんだな、なんて。それは乗り越えたからわかったことですよね。
無理して飛び越える必要はないし、飛び越えてなにもなくても、まあいいやって感じかな。
人生は短い。
返信削除でも、一気に終わることはなくて
結構、長いもんで、
あれやこれや悩んじゃいます。
接客の仕事で生計を立てておりますが、
十人ト色?
最近、20年以上若い女子高生のお客さんが
来店しましたけど、
年上のおじさん?から観て
複雑な気持ちです。
金太郎飴のごとく、
いろんな性格の子がいて
時を超えて素敵な子もいるなって
逆に、ありえないとんがった子もいたり。
匿名さん>
削除コメントありがとうございます。
人生、短いようで一気に終わる事はない、そうなんですよね。
いろんな年代の人がいて、いろんな子がいていろいろありますね。
わたしも接客業が長いのでわかる気がします。