狐が木にぶら下がっているぶどうが食べたくてぴょんぴょん飛び跳ねるけれど届かない。 狐はあきらめて「どうせあのぶどうはすっぱいんだ」と、捨て台詞を残して去っていく。
最近気づいた。きつねは私。
手に入らないから「どうせたいしたもんじゃない」と心に言い聞かせ、手に入らないほうがいいんだよーって顔をして。
それでいて、「イソップ物語に出てくる狐ってみっとないよなあ」なんて考えてた。
ぶどうが甘いかすっぱいかなんて、食べてみなきゃわからない。
ぶどうの前を通り過ぎたあと、
“もしかしたら甘いぶどうだったかも?いやいやそんなことはないわ”
なんて考えているよりも、飛び跳ねてみたり、踏み台に登ってみたり、木をよじ登ってみたり、木からおっこちて、血を流しながらまた木をよじ登ってみたりしてぶどうを手にいれたい。
やっと食べたぶどうがとんでもなくすっぱくてもいい。“あのぶどう、甘かったかもしれない”ってもやもやしているよりもずっといい。
ぽにょ太を抱えて、ぶどうめがけて、ぴょんぴょん飛ぶよ。
PR
0 件のコメント:
コメントを投稿